ビー玉を覗いた世界で生きる

ハンディのある自分を知るために書いてみます

ロングスリーパーの日常

私の1日はひとより短いです。

 

 夜はお風呂から出たらストレッチをして、終わったら習慣の読書。その途中にあくびをしだすのが22時過ぎで、0時には寝ます。体調が良くてもう1時間ほど起きていられる時もありますが、だいたい電気を消した後から時間を置かずに記憶がなくなります。

 起きたら12時。明らかに真っ当な人間が起きる時間ではありませんが、早く起きられて11時。体調により前後しますが、日中に眠気を感じずに生活できる睡眠時間は10〜12時間。

 体調に左右されますが、ストレスがかかると眠くて仕方なくか全く眠れなくなるかのどちらかです。

 

 寝過ぎだと子供の頃からよく怒られました。一般的とされる6〜8時間睡眠では日中眠くて仕方なく、座っていると眠ってしまうほど。最近ようやく「適正睡眠時間は人によって違う」といわれるようになりましたが、まだ浸透してはいないようです。

 

 慣れれば大丈夫と一般的な時間睡眠でフルタイムの仕事をし、帰ってきて昼寝を1時間ほど。寝足りないのを我慢して家事に取り組み11時前には倒れ込むように寝て…という生活を一年ほどしました。しかしだんだんと慣れるどころか昼寝をしたら朝まで寝てしまったり、寝るつもりが無いのにしゃがんだだけで寝てしまい朝まで起きないことも。結果的に体が壊れました。

 

 私が服用している薬のせいではありません。子供の頃からよく寝る体質ですし、薬は長らく服用しているものなので副作用では無いと思います。過眠症の有名所ではナルコレプシーですが、満足いくほど眠れていれば日中寝ることはありませんし、道端で眠ってしまったりといった極端な例はなかったです。

 

 不眠症のように眠れなくなってしまった時には暗闇で目が冴えてもんもんと考え事をするよりは睡眠薬で意識を無くしたほうが良いようすが(覚醒して脳が休まらないそうです)、私はなにせ真逆です。睡眠外来と言われるクリニックさんは睡眠時無呼吸症候群の専門がほとんどで過眠は診療科目に書いてあっても扱っていないことのほうが多いです。

 

 曰く、眠れているなら大丈夫。

 こちらからするとそう単純ではないのですが、眠らないと脳は壊れるそうなのでそちらのほうが重症なのでしょう。

 

 「眠気 寝ても疲れがとれない 過眠」などで検索をかけて散々調べました。寝過ぎて眠いのでは、というかたもいらっしゃいます。寝る前のスマホ、カフェイン、ストレス、飲酒やタバコ、シャワーのみの入浴などその他睡眠に良くないとされるもの。睡眠の質、睡眠効率を測定するアプリなどなど…

 仕事から帰ってきて倒れ込むように寝る生活ではそんなもの入る余地もありませんし、だんだんとアラームに恐怖しながら起きていた朝もアラームの音が聞こえないほど寝入ってしまい寝坊する事が多くなりました。仕事もミスが増え何を喋ったか記憶がなく、休憩時間は食事をとるよりも少しでも仮眠がとれるように机に伏して微睡みながら「遠いところにいきたい」と思っていました。

 

 結局メニエール病になり頚椎が変形し、頭には6cmほどのハゲができても数ヶ月働きましたが思うように体は動かず全身痛くて、朝になるとめまいで吐くようになってから仕事を辞めることになりました。

 休職したいと何度も当時の上司に言っていましたが最初は休職の制度がないと嘘をつかれ、さらに上の人に休職制度がある事を確認してから話をすると「人がいないから」「がんばれるでしょ?」「大丈夫、すぐ治るよ!」と相談自体無かった事にされました。

 

 仕事を辞める事に決まってから数日をほとんど寝て過ごし、ようやく日中に起きていられるようになった時にホルモンの関係で過眠になっていた女性のブログを見つけました。

 そういう事もあるのかと思いましたが少し私の症状とは違うようで、別のサイトで発達障害が過眠に関係するという病院の記事を見つけました。その病院は自費診療でしたが検査方法は脳波の測定。とりあえずなんでもいいからわかれば、という気持ちで受診しました。

 そこで私がASDグレーゾーンであることや、過眠や聴覚過敏のことがわかりました。病気ではなく、そういう体質(特性)なのだとようやく説明がつきました。

 

 今は自宅療養なのでアラームもかけずに好きなだけ眠れます。寝不足になるとあからさまに耳と首まわりに違和感がありますが、そういう時は少し昼寝をするか、部屋を暗くして静かなところでしばらく横になるとだいぶ良くなります。寝る時間はいつもより少し遅くなってしまいますが誰にも怒られませんし許可をとる必要もありません。

 

 メニエールも最初の頃よりはマシになったとはいえ、コンディションや気圧が不安定だったりするとぶり返します。この状態でどんな仕事ができるのか、どういう仕事が難しくて、どんな補助が必要なのか考えています。

 先の職場は朝は早いですが、ほぼ残業がない仕事でした。8時間労働で休憩もありました。その前の仕事は夕方から朝まで休憩なしで深夜手当てもない職場だったので、福利厚生で雇用保険もあり、勤務時間と給料の面でも遥かに良い雇用条件でした。

 

 でも、このザマです。

 

 体が弱いのかストレスが多いのか、フルタイム勤務で満足いくほど寝たら残りは仕事の時間で終わりです。満足いくはずの時間寝ても回復しないので家事なんて全くできませんし、その当時は(汚い話ですが)お風呂に入ることすらあやしかった。

 お風呂は好きですし、介助も不要です。入りたくないわけでも無く、ただひたすら眠すぎて風呂に使う時間と体力が無かった。「身嗜みが適当になるくらいならいっそ遅刻して来い」と言われた事もありますが、本当にそうしたら烈火の如く怒られます。真っ先に削れと言われるのは、睡眠時間。

 そうなるともう食事もおざなりになり、一度寝たら途中で起きないので食事は移動時間に歩きながら何かかじるか、食べないのが常でした。

 

 晴れやかな窓の外を見ながら家のたまった洗濯物を思い出し、全く手入れできなくなってしまった植木がまだ生きているかすら確認できない。ホコリが溜まった床も、料理を作ることができなくなったキッチンも放置。今のように本を読むことなんてとてもできません。休みの日はやらなければいけない事はたくさんあるのに体が動かない。それがずっと嫌でした。

 

 私の体力は、私が思っている以上に無い。疲れやすく、メンタルは体調に出やすい。

 これを最近知りました。がんばればどこまでもできる思考でしたが、どうやらそうでもないらしいです。ゲームのように体力が表示されてくれればいいのですがそういうわけにもいかず、どこが限界か未だに掴めません。

 疲労がサインだとわかっていても、それに従ったら今の生活が限界です。ブログや調べ物をしたりとおよそ3〜4時間、たまに洗濯物を干しに立ったりお茶をいれたりしながら座って作業するレベル。仕事ではないのでブログに締め切りはありませんし校正も必要ありません。急な依頼もないし、自分が書きたい時に書けるもの。加えて人と関わることが増えたら最初は良くてもどんどん蓄積していくでしょう。

 

 人と関わるのがストレスなのは確定なので、せめて静かな職場があればいいのですが。

 

  

 

記憶のデータ容量

精神疾患に罹ってから

それまで覚えていた事が出てこなくなったり、新しい事を覚えにくくなったりしました。

 

 そうなる以前は読んだ事のある本やドラマのセリフ、スーパーや本屋に陳列されている商品の配置や値札まで、ほとんど暗唱できるほどに覚えていました。

 幻聴に怯えて暴れて叫んで家族に押さえ付けられていた急性期を乗り越え、ある程度正気に戻ってから気が付いた事です。直後は実家の住所や電話番号すらあやしいほどに、ほとんどの事を忘れていました。少し時間が経ってある程度思い出しはしましたが、いつも頭にもやがかかっていて、以前のように鮮明には思い出せなくなりました。

 

 ある時、もともと折り合いが悪かった実家から逃げ出して住み込みの仕事を始めました。

 仕事の関係で、どうしても人の顔と名前を覚えなければいけない状況になりました。もともと得意ではありませんでしたが、仕事だからと思って覚えました。しかし、対照的に重要な事として保存されていたはずの記憶がどんどん消えていきました。そのフォルダが空になってしまったら、同じものでも初めて見聞きするものと代わりません。

 

 ひどく恐怖を感じる、嫌な事でした。今まで見聞きした情報を削ってまで覚えなければいけない事なのかと疑問にも思いました。

 私が悩まされていた幻聴は今まで関わってきた全ての人達が私を日夜監視していて、バカにして笑うために嫌がらせをしているというものでしたので、実体があろうが人を信用する事は全くできませんでした。

 

 なかには、そういう病気だと知っていてわざと通りすがりに悪口を言い、確認すると「えー、そんな事言ってないよ!病気のせいだよ!」と陰で笑うようなかたもいらっしゃいました。人がある程度近づいたら警戒しますし、鏡ほどの精度はなくとも反射するもの越しに口の動きは確認していましたので間違いありません。そのかたが更衣室で休憩中に「見えないように悪口言ってみたんだけどさー」と談笑していましたので確信犯です。

 

 未だになかなか人を信用するということはできません。全員が全員、悪意があるかたではないとも理解しています。他人がそれほど自分に興味がないとも頭ではわかります。

 しかし、どんなに自意識過剰と言われようと恐いものは恐い。できる事なら、最低限の人付き合い以外はしたくありません。店員さんがお客さんがひいた好きに従業員同士で喋っている事すら聞いていて恐いのです。

 

 ばかにされ、笑われるのを恐れて相談するということもできません。上司が心配して声をかけてくださる事もありましたが、それっぽい事を言って本音は話しませんでした。

 その上司はひとしきりアドバイスを言うと叱咤激励のつもりかばんばんと私の肩を叩き、後に「あいつ俺に相談してきてさ」と嫌味な笑みを浮かべて他の人に話して聞かせていました。

 こちらは本音は話していませんし、まずその上司が嫌いだったのでネタ探しだと最初から思っていました。触られるのが鳥肌が立つほど気持ち悪いとしか思っていなかったのですが、「お話しを聞いていただいてありがとうございました」と返せただけマシなのかな、と自分では思っています。

 

 今はもうその会社は退職しましたが、相談できる先は結局、カウンセリングで落ち着きました。先生と2人きりで、防音の部屋。業務上、秘匿されると約束された会話。病院のカウンセリングにはあまり良い印象がないので自費診療のカウンセリングルームに通っていますが、そちらにしてよかったと思っています。

 

 頭は使わないと急速に衰える、と聞いた事があります。今、私が会話をするのはパートナーと、カウンセラーの先生、病院の先生達とスタッフさん、母、あともう1人

 家事を担当し、自分で通院も服薬もできます。自分だけの食事は作る気にならないけど、2人分の食事なら作れます。1人で買い物に行くこともできますし、植物の世話もできます。賑やかな所は苦手ですが外食もできます。

 

 仕事はしたいです。でも、仕事を再開したら、今度はどの情報が私のなかから削られていくのでしょうか。もう使う事は無いであろう人の顔と名前とプロフィールを削った空き容量が、まだ残っているといいのですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

大嫌いだった課題

学生時代、苦手だった宿題

ワースト1位が読書感想文です。

 

 お世辞にも成績優秀だったとは言えませんが、小学校の頃は100点をもらうことが多かったように思います。

 中学校にあがって3年間ほとんど学級崩壊を起こしていたので教室は動物園と化し、聴覚過敏もあいまって授業は何も聞こえず、赤ちゃんの声や子供、女性の声といった高音が苦手なので学校は苦痛でしかありませんでした。

 家庭も特に不安定な時期だったので日夜イライラしてどうやって人を傷つける事かという事ばかり考えていました。誰も信じないように、近づく人間は全員敵だと認識して身を守っていました。勉強なんてとてもできる精神状態じゃなかったと言えば言い訳ですが、辛うじて人としてのレベルで道を踏み外さなかったのは奇跡に近いと思います。

 

 そんななか、それでも比較的好きだった国語の宿題で一番嫌いなものでした。

 理由は「思った事を書いても先生が望む言葉を使わないと書き直しだから」「影響も受けないし感動もしない。特に何も思わないから、無理矢理書くとどうしても説明文になる」

 といった感じでしょうか。

 

 今やインターネットが普及して宿題はコピペすると言う技がありますが、私の実家にはパソコンを使う者がおらず当然Wi-Fiなんてありませんでした。

 

 もともと本の虫と呼んで差し支えのないレベルで読書は好きでした。当時から語彙が少ないほうだったとも思いません。ただ、私は読書をする時に俯瞰で見ます。フィクションの物語や推理小説を好み、登場人物や事件が起きている部屋、旅路の風景が映像で浮かぶのでどこからか覗き見をしているような感覚です。

 熱中するほどの本を読んでいれば登場人物達は動きますし、喋ります。街道で馬車に揺られる振動も、架空の酒場の匂いも、そこにはあります。私の感性では、それらを感じる以上のことは無いのです。

 

 「他人に伝わるように文章を書けるか」でしたら未だに自信は無いです。文章構成も言葉選びも上手いとは思えません。

 「物語や登場人物の背景を考えましょう」の意味は未だにわかりません。正直、読み手の自由だと思っています。

 恐らく、ネックだったのは「指導者が望む文章を書かなければいけない」こと。

 

 実際の採点基準がどうなのかはわかりませんが、未だにそういう課題だと思っています。

 とある詩を書く授業で、1枚目は書き直しだったのに2枚目は文集の佳作になったものがありました。当時の担任の先生が大嫌いで1枚目は思うがままに、2枚目を書く際にふと教室に掲げてある標語を見上げて意地悪な気持ちで書いたものです。

 「大人はこういうものが欲しいんでしょ?」と、半ば投げやりに。それが佳作に乗ってしまったものだから、間違っても感性にいい影響はなかったでしょう。どういう作品が需要があるかは、わざわざ自分が感じたものを捻り出さなくても黒板の上や廊下、校内の至るところに大きく書いてあるのですから。「大人が欲しい答え」が証明されてしまったのです。

 

 それ以来、文章を使った類似の課題は苦手です。なぜ欲しい答えがあるのにわざわざ自由に書いていいようなふりをするのか、と。

 文章構成や句読点の使い方、語句の選びかたなどチェックするポイントは多々あるのでしょうが自由に書いていいふりをして自由ではない。それが文章だろうが音声だろうが、感じたままを表現していいようで様々な規制がある。

 

 曲がりなりにも大人になって、見えない規制が無いと世の中は無法地帯になってしまうと理解しましたが「何かを表現すること」はどんな形であれ未だに苦手です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

埋まらないハンディ

 私は16歳で統合失調症になり、25歳でメニエール病になり、最近ASD(旧アスペルガー)グレーゾーンだと判明しました。

 虐待サバイバーとまでは言い切れないけれど、機能不全家庭で育って、おそらくアダルトチルドレンと呼ばれるジャンルに入るかと思います。

 

 障害者手帳は現在2級で、使う事はあまり無いですが成人して実家を離れてから顔写真付きの身分証代わりに取得しました。

 ASDに関しては学生時代からずっとそうではないかと疑っていて、脳波の検査で過眠や発達障害を診断している東京の病院を受診した際に判明しました。

 特性としては聴覚過敏や過眠、不安を感じやすい性質があるそうです。

 

 若年で精神疾患に罹りましたが、これまで一度もオープンで仕事に就いたことはありません。

 正直、人と話す事が苦手で得意な職場環境では無かったのですが、調理師免許を持っていることと料理が好きなこともあって接客業しかした事がありません。最長勤続記録は3年で履歴書を書いてみるとアルバイトも含め、今やなかなかの転職回数になってしまいました。

 ほぼ全て、体を壊しての自己都合退職です。面接で落ちたことはありませんが、円満退職ができた事もありません。お世話になっていた会社からしたら迷惑な話ですが、そんなことを繰り返してきました。

 

 めまいで立てなくなるほど無理をしても

 原因不明の体の痛みを我慢しても

 味が分からなくなるほど常に緊張していても

 一般的には適正範囲でも過眠傾向のある私には全然足りない睡眠時間で毎日アラームに恐怖しながら起床して出勤しようと

 ついには、まかないを食べながら寝落ちして椅子から転げ落ちようとも

 

 世間一般で求められる労働基準には全く届かないのだと、ようやく認めました。

 

 かと言って障害者雇用の手取りで生活するのも難しいだろうし、また体調を崩してしまう恐怖もあります。保険会社さんの「働けなくなった時のための保険」というものを最近よく聞きますが精神疾患に罹患しているとたいがい保険には入れませんし、障害年金の受給が前提とされているそうで入れたとしても割高です。

 なので在職中は毎月そこそこの額を貯金して体調を崩して退職してはある程度回復して次の仕事が見つかるまでそれで繋ぐという事を繰り返していました。

 

 本当に悔しいことですが、障害年金の申請をしてみることにしました。楽をしたいわけではありません。仕事をする事が嫌になったわけでもありません。受給できたとして、年金だけで生活する気もありません。

 がんばれば一般雇用でも仕事を続けられると思っていました。新しい職場に移るたび、そうできるようにと思ってきました。障害者雇用でサポートを受けなくても、泣きながらでもずっとやってきた職種ならある程度勝手がわかるから大丈夫だと思ってきました。障害年金なんて、と恥ずかしくもあり情けなくも思います。

 

 でも残念ながら、それ以前にやらなければいけない事があるのだと思いました。私はそれをずっと先延ばしにしてきました。考えないように、見ないようにしてきました。それを考えなくて済むように生きてきてしまいました。

 私にとってはとても、つらく苦しい事です。また何度も苛立ち、落ち込み、子供のように泣いてしまうでしょう。今、一緒にいてくれているパートナーにも嫌な思いをさせてしまうと思います。これまでも常々嫌な思いをさせてしまっていたようです。それが、今回ブログを書くきっかけでもあります。

 

 私は、まだ「自分のために」何かを頑張ることができません。依存的な理由ですが「パートナーと一緒にいるために」なら頑張れます。大好きで、とても大事です。でも、私のせいでずっと嫌な思いをさせてしまった。私自身も不安になって、体調もメンタルも不安定で、嫌な思いをしてきました。

 どうしても時間がかかる事だと思いますが、少しずつでも変われたらいいなと思います。